極論、『人は誰かの評価を気にし始めると、死にたくなる生き物』です。
妻のうつ病を看病していて、これは本当に痛感させられました。。。
以前にも就職活動でうつ病なんて辛い。面接官の立場で思う事と採用の裏側という記事にも書いたのですが『新卒一括採用』の仕組みって本当に良くないと思うんですよね。。。評価、競争、評価、競争、評価、の連続で人間的に考えると残酷な社会の仕組みです。
新卒一括採用が始まると日本に住むぼくらは、『人』から『エコノミックアニマル(経済活動をする動物)』に変わってしまうんだなぁ、と個人的に虚しい気持ちで満たされます。。。
「就活なんてもう嫌だ、死にたい・・・」
そう感じる学生さんが多くて当然だと思います。
多くの学生を一斉に競わせて、1人1人に点数を付けて評価をして、採用を決めた学生さんには「おめでとう!君は本当に優秀だ。是非うちで働いて欲しい!」と多くの会社が言うものだから、採用されなかった学生さんは「あぁ、自分は価値のない劣等な人間なんだ、死にたい・・・」と悲しい誤解をしてしまいます。
きっと今年も『内定数』によって、学生間のヒエラルキーが決まってしまうんですよね?
そして、分別を持っているはずの大人である親御さんなども、就活をしている学生さんと一緒になって採用の合否で一喜一憂してしまうものだから、殊更間違った誤解を助長してしまいます。
これは本当に難しい問題ですね。。。
なぜこんな現象が起きてしまうのでしょうか?
ある見方をすると、一部の人に「劣等な人間だ」というレッテルを貼ることによって、それ以外の優秀(?)な人のモチベーションやパフォーマンスを上げる為の社会の仕組みだと分かります。
以前 「イジメのある学級の方が、クラス全体として纏まって良いクラスに見える事があるから、学級作りは本当に難しいと感じる・・・」そういう先生の話を聞いた事があるのですが、これと通じるものを感じます。(もっと悪くいうとナチスドイツのユダヤ人迫害の手法にも近いのかも。。。)
人間は集団の中に『敵や弱者』 を設定することによって、一致団結し、高いパフォーマンスを発揮する悲しい生き物かもしれないですね。『生贄』にされる方は本当にたまったものではありません。。。
事実。『評価制度』は基本的に組織が『人(社員)を思い通りにコントロールするための技術』です
昔の偉人や賢人は「人と自分を比べてはいけない」「人はあるがままで良い」「人の価値に上も下もない」そんな言葉を多く残してくれています。(哲学者とか心理学者や有名な宗教の教えなど)
ですが、最近の資本主義社会の元では「如何に人を評価すべきか?」「どうすれば人を上手にコントロールできるのか?」「効率的に成果を上げさせる人事制度とは如何なるものか?」日夜そんな研究がされています。
これって凄く不思議ですよね?
影響力のある人たちが、全く正反対の事を言っているんです。
きっと、どちらも正しく、どちらも間違ってはいないのでしょう。
「1人の人として、如何に良く生きるか?」
「社会の仕組みの一部として、如何に良く生きるか?」
これはそんな簡単に切り離せる概念ではないと思います。
でも、この2つの視点で就職活動をみると、不採用の連絡が来た時に
「あぁ、自分は価値のない劣等な人間なんだ、死にたい・・・」
と落ち込むことも出来れば、
「あぁ、あの会社にとってコントロールし易い人が合格しただけだな」
と達観することも出来ます。
教科書に残る様な偉人、賢人の言葉を信じるのか?
資本主義社会の権化の言葉を信じるのか?
それは個々人の自由です。
自分が生き易い方の考え方を、環境に合わせて使い分けられる様になりたいものですね^^;
「就活なんてもう嫌だ、死にたい・・・」と感じる人は『優秀(?)な人』に極めて近いです
「君は他のライバルよりも優秀だ!」という承認欲求を満たすと、平均的な社員より3倍も4倍も成果を上げてくれる凄い人達がいます。
それ程までに、人は『誰かに高く評価される事』を望んでいるのでしょう。
就活が上手くいかずに「死にたい・・・」と感じる人は「誰かに高く評価されたい」と無自覚であれ、きっと心のどこかで強く望んでいるはずです。
そして、実はこのタイプの人はめちゃくちゃ頑張り屋で、会社や組織に貢献してくれる可能性高い人達です。
それこそ毎日睡眠時間を削ってでも、成果を出す為に努力をするでしょう。中には自分の限界を超えて、心と体の健康を壊すまで頑張ってしまいます(このパターンは僕の妻と全く同じです。。。お気をつけください^^;)
一方で、
「他人からの評価?何それ美味しいの???」という人も存在します。(割合的には定年まじかの年配の方に多いように感じます)こういう方々は『誰かに高く評価される事』には興味がない様です。会社、組織としては『評価・人事制度』でコントロール出来ないので、非常に厄介な存在でしょう。
中には『①自分勝手に好きなことをしているけれど、結果的に組織に多大なる貢献している人』もいれば『②他人の評価を気にしないので、何を言っても組織のために働かないツワモノ』もいます。
エコノミックアニマルとして真に『劣等』なのは確実に②のタイプの人達ですが、人間的には愛すべき存在感を持っています。
世の中には色んな『村』があるから大丈夫!
多くの学生さんが目指す、有名な大手企業などの評価制度は得てして、人間味を感じさせないドライなものが多いかもしれませんね。
あくまで評価制度は『企業として成果を出す』為のツールなので、致し方ないでしょう。人が多いので、殊更難しいのだと思います。新卒採用試験で嫌な思いをしてしまう人は本当に多いですよね。。。
でも、世の中には様々な会社が存在します。
就職活動では、学生さんはなかなか見つけ難いかもしれないですが『有名じゃないし大きくもないけど、実はメチャクチャ優良企業!』という会社も案外あるものです。
そもそも『評価の仕組み』もまだまだ未発達の分野。会社の評価が絶対的な価値観になれるとも思えません。
『採用基準』や『評価制度』は一種の『小さい村の掟』くらいに考えておくと、心を必要以上に支配される事も無くなると思います。
大丈夫。世の中には簡単に数え切れないくらいには沢山の『村』が存在しています。新卒一括採用の儀式を通らなくても入場出来る良い村もあるし、村里から離れて楽しく暮らしている人も実際に大勢いますしね^^
☆☆☆☆☆
う〜〜〜ん、なんか言いたいことが上手くまとまっていないですね。。。すみません。。。
まぁ、兎に角『就職活動の合否は人として、そんなに重要じゃない』ので、ドライな対応には、自分も気持ちをドライにして、必要以上に心を揺さぶられないで欲しいな。との思いで僕はここまでキーボードを叩いてみました^^;
就職活動中にヒエラルキーを形成してしまう現状は残念ながらありますが、人の価値って就職活動なんかじゃ決まらないはずです。人の心を捨てて完全に『エコノミックアニマル』になれれば就職活動も仕事も楽なのでしょうが、それも「どうなんだろうなぁ・・・」というのが個人的な思いです。
家族のうつ病で地獄を経験して『エコノミックアニマル』から『人』に戻りたいなと願っている男の戯言だと捉えてくれれば幸いです(汗